安克昌(2020) 『心の傷を癒すということ:大災害と心のケア』作品社
1995年1月17日に我が身に起きたこと。そして、そこから数か月間の強烈な心的な動揺。また、それから数十年間にわたる落ち着かなさ。
それは、誰に語ってもわかってはもらえない。
私よりつらい苦しみを味わっている人たちには、私の体験などかすり傷にも満たない。だけど、少し離れた地区にいた人たちは、シェアする体験すら持たない。
あの瞬間のことと、それに伴うしんどい日々は、
物理的にも、心理的にも、社会的にも、あまりにも個別の体験だ。
だから、これまで、私は一切、震災にまつわる手記を読んだり、番組を観たりしようとしなかった。
「だから」というのは、何の理由にもなっていないことくらいわかっている。
あまりにもリアリティが身体に沁みついているから、他人の書いたものや客観的な映像に対して冷めているだけだ。
いや、それだけではないはずだ。
フラッシュバックが起きるのも怖かったし、またあの罪悪感が押し寄せるのも不愉快だった。
よくわからないが、触手が伸びないのだから仕方がない。
それでも、このたびご縁があって、映画『心の傷を癒すということ』を観賞した。
涙が伝って、自分に「もういいよ」と言ってあげたい気持ちになった。
とっくにそう言い聞かせてきたのに、まだ足りてなかったのかなあと思った。
その後、ご縁の主である安克昌先生の弟の安成洋さんから本書が届いた。
今回は、読みたいと思った。
文章が、しっかりと心と脳に届き、冷静にのめり込み、最後まで読み切った。
私の記憶が飛んでいるあの月日について、説明してくれているような感じだった。
あれは遠い過去のことではなく、
私にとっては、すぐ取り出すことのできる今のことでもあると思った。
それと共に生きていくのは、悪くないと思えた。
ありがとうございます。
もし、ご存命だったら、ご自身も被災している中で、人びとの心に寄り添い続けた安先生自身の心のケアはいつ行われていたのかとお聞きしたい。
勝手ながら、おそらく書くことがカタルシスとなっていたと想像される。
もしそうなら、そのおかげで、25年以上経っても救われる人がここにいることを、たまらなくお伝えしたい。