先週の土曜日から、私塾10期がスタートしました。
サイコーの気分です(o^―^o)
day2での出来事。
「新人時代の自らの経験を、
今の新人教育に活かすために具体的に何をするか」
そんなことをグループディスカッションしてもらいました。
看護観を語る
怒られてもそこには意味があると伝える
声をかける
普段から実施していることや、新たなアイデアが次々と出てきます。
私は、それをすべてホワイトボードに書いた後、
こう尋ねます。
「素敵なアイデアが出てきたけれど、〇〇さんだからこういう指導ができるよね、ではなく、これを職場みんなに浸透させるためにはどうしたらいい?
そもそも、看護観って何?そこに意味があるってどういうこと?わかったつもりになっている言葉を、みんながわかるようにどう伝えればいい?」
私も看護師だから、みんなの言わんとすることは、わかっています。
でも、敢えてそう問います。
すると、おもしろいことに、同じグループ内でも「そこに意味がある」の取り方が違ったり、「声をかける」をそこまで深くは考えていなかったりすることに気づきます。
私たちは、同じ世界観をもって、同じ考えをもって、お互いのことをわかったつもりになって関係性を構築しようとします。
でも、みんな違う。だから、丁寧に丁寧に。
それってどういうこと?何を意味しているの?って聞きます。
聞かれた人は、しどろもどろになりながらも、一所懸命言葉を紡ぎます。
そして、言います。「日本語って、こんなに難しかったっけ」って。
同じ言葉を使っているから通じていると思っていても、そうじゃないこともある。本当に、この現象を説明するのには、こういう言葉が必要だというところまで落とし込む。全員が、深くうなづくまで。
だから、いつもの現場とは違う脳内処理が起きます。
私塾って、そんなところです。
毎年、新入社員研修の最初に実施しています。
例題は
「リンゴを思い浮かべてもらい、各自が思い浮かべたリンゴについて語ってもらいます」
すると、赤いリンゴ、緑(王林)のリンゴ、皮をむいたリンゴ、弁当に入っているウサギリンゴなどなど、
リンゴという単語も詳しく説明しないと間違って伝わるから注意する様に促しています。
濱谷様
コメントありがとうございます。
新入研修の最初に実施されているというのが、重要ですね。
そのときに感じたコミュニケーション上の落とし穴や、自分の癖などに気づく機会ですね。
ありがとうございます。