看護という病に取り憑かれた

投稿者: | 2019年10月17日

北海道札幌市にナースエナジーという会社があります。
社長の亀井紗織さんは、勝原私塾の1期生。

彼女は、
きちんと看護をすれば、患者の持つ力を最後まで支えることができるという絶対的な信念を持っています。
その具体的な話を、塾中に何度も聞いていたので、
ぜひ見学させてほしいと、洞爺での仕事の帰りに立ち寄りました。

「看病付宿舎 なはちがる」
その看板の下をくぐると、
病院の個室をイメージさせるような入居施設になっていました。
11室はすべて、要介護度4や5の方ばかりです。
1人1人への近づき方をよく知っている亀井さんの後ろを、私はついて回りました。

暗い表情、
はっきりいうと絶望や悔しさを感じるような表情の患者さんは皆無です。
どの人にも、尊厳を大切にされているからこそ宿る信頼の眼差しがありました。

医療施設や介護施設では、
 「反応は全くない」と言われた人が、ここでは自分の名前を言います。
 「こんなひどい褥瘡は治療できない」と突き放された人が、ここでは褥瘡が治ります。
 「食べられない」と断言された人が、ここではデイルームで食べています。

きっとすべての人が劇的によくなるというわけではないのでしょうが、
 ・とにかく、患者さんを頭の先から足の先まで磨き上げる
 ・拘束は絶対にしない
 ・できるだけ食べてもらう
という基本的なことを徹底することで、
こんなに患者さんが生きることの喜びを取り戻すのだという実例を、
目の当たりにしました。

亀井さんは、時に「看護の病」という言葉を使います。
入居者や訪問看護先の方ばかりではなく、
道すがら気になった人がいても、放っておけない。
看護の手で、なんとかできるんじゃないかと思う人を放っておけない時に、
「私の看護の病が出てきた」と表現するのです。

どうしてこのままにしておくのか、もっとできることがあったんじゃないか。
きっと一番悔しいのは患者さんに違いない。
その患者の悔しさを看護師の悔しさに変える力が、亀井さんの力だと思います。
その力を発揮せざるを得ない状況が、看護の病。

筋の通った看護を貫き通す。
その凄さを教えてもらいました。

看護という病に取り憑かれた」への2件のフィードバック

  1. 徳永 賢市

    看護事故から院内暴力をテーマに書いています.まだまだ本になるかどうかわかりませんが、私も看護を残したいと思います.大きくでたなと思われるでしょうが、看護博物館を作ってほしいです.昔の看護衣とか昔の勤務表など集まったら面白いでしょうね.院内暴力の事例を集めていますが、なかなか難しい事です.随分まえの事ですが、看護師さんが患者に噛まれたという事件がありました.確かに歯形がついているのですが、なんと太ももにどういう体制になればこうなるのか不思議でした.一つの産業に一つは博物館が欲しいです.ただもうすでに三重県にあるらしいんです.それがチョット悔しい。それと院内暴力、いまちょっとしたブームで結構分析されています.院内暴力はあっという間に本がたくさん出ました.それも悔しい。暴力は随分まえからあったんですけど、それをどうとらえているかが看護師の問題だと思います.それからこれも歴史とか、暴力の対応方法とか、出来たら謝罪のマニュアルとか出来たら良いなと感じています。僕の問題なんですけど、本がもし出来たら連絡しますね.外国人看護師についてものっています.

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    1. katsuhara 投稿作成者

      ぜひ、ご著書ができたら読ませていただきたく思います。いつもブログをお読みいただきありがとうございます。

      返信

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