日本中に広がる「保健室」

投稿者: | 2017年1月29日

第2回全国”まちの保健室”フォーラムが、大阪で開催されました。
100名の定員を超える満席状態で、
熱気あふれる「まちの保健室」「暮らしの保健室」の取り組みが、
次々と紹介されました。

私が感じたこと。
それは、
「私は、地域で安心して人々が暮らしていくための資源も仕組みも
何も知らない」
ということ。
知識はあっても、実は何もわかっていないということ。
私が知らないということは、私の家族を始め、身近な人たちも知らないのです。

 無知・未知 ⇔ 既知

この ⇔ の間には、乖離があるようです。
だけど、⇔ は、深い溝や渡れない川なのではなく、
ちょっと関心を寄せればすぐになくなるものだと思うのです。

   無関心 ⇔ 関心

だから、知ろうとするか、しないか。 ← そこは大きい。

働き盛りで、自分も家族も健康な人たち。
他人の手や行政のお世話にはなりたくないと思っている人たち。
私の身近にも、そういう人たちがたくさんいて、
地域でのケアは他人事だと思っているようです。
   ⇔ の橋渡しをする人たちが、
今日、このフォーラムに集まってきたような人たちなのでしょう。

「保健室だからといって、看護師が常駐する必要はない。
安心して暮らしていくためにちょっと立ち寄れるような場所、
それが”保健室”なのだから、それは誰が運営していてもいいのです。」
そんな発言が会場から聞かれました。

「病院の看護師は、こうしなければならないという考え方に縛られていて、
窮屈そうだ」
と、私に話しかけてきた人もいました。

→ そんなことはありません!
と100%言い切れない私は、
今、病院モデルと地域モデルの両方に足を起きながら、
それが二極化しないようにするためにはどうすればいいかを考え始めています。

懇親会の席はくじ引きでしたが、
幸運なことに 秋山正子さんの真向かいでした。
宇都宮宏子さんも来られていたので、
許可を得て、撮影。→ 笑顔×笑顔
何がそんなに楽しいの?
みんな、未来を向いているから楽しいのでしょうね。きっと。

  

 

 

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